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8月25日 我が家の"愛犬"「マック」が熱中症? 今年はわたしの期待に反し猛暑が続いている。しかし住んでいるこの辺は有り難いことに昼間で27度前後の日が2回ほどあり、その日の後2,3日は比較的涼しい日があったので一息つけたのである。比較的海が近いこともあって夜間はかなり涼しいのである。
しかし、南風が夜間も吹くということになると東京方面の熱気が入り夜間も気温の下がらない夜が結構あった。扇風機は熱風を送ってくることになり、そうなるとエアコンなしでしのぐのが難しくなるのだ。 やはり旧盆を過ぎた途端涼風が吹いてきたわけで、そうでなければ蒸し暑い日本の夏はやりきれない。
ところが昨日、"愛犬"のマック(ゴールデン)がいつもの散歩の時間になっても起きてこないのである。あれほど散歩を待ちこがれている犬がである。当然食欲も無し。呼吸は速く、寝たままで起きあがれない様子。医者にと思ったが少し様子をと見ていると、午後3時過ぎて幾分気温が下がってきたところでやっと首を持ち上げてきた。犬の寝床は1畳半ほどの板の間で屋根付き周りは2方向は完全にフェンスで解放状態。コンクリートの運動場が3畳ほど。常に日陰はあり風通しもまあまあである。
そこで、これはやっていいものかどうか分からないが、日頃から大好物のバナナをやってみたところよろけながらも、2本を食べきった。そこでやはり好物の和菓子をやってみたところ2個をぺろり。それにドックフードにも幾分口をつける様子。ヨシ、これで大丈夫!と踏んで安心をしたのであるが、歩く姿をみるとかなりヨタヨタなのである。それに右半身が少し不自由そうである。
今朝、起きてみるとまだ散歩に行く気力は起こらない様子。しかし食欲はありそうである。昨夕と同じメニューと缶詰の肉製品(ミンチ状)を少し。ペロリとたいらげた。しかし、だるそうにほとんど昼寝。しかし、昨日はわたしが近寄っても頭も持ち上げなかったのが、こちらを振り向く様子。
そして今日の夕方、これも良いかどうか分からないが、食欲が出てきているようなので豆腐を一丁、バナナ3本をやってみるとペロリ。多分これで体力的には大丈夫。しかし足取りは重そう。脳血栓でも無ければよいが・・・。すでに13.5歳なので、今年の猛暑はかなり堪えているに違いない。
当世の愛犬家には叱られるかも知れないが動物を甘やかすつもりはない。つまり飼育は自然に任せて行くべきと考えている。ただ季候の寒い地方の犬を人間の勝手で日本に連れてきていることも既に虐待かも知れない。がしかし、動物には自然に順応し生き抜く力があるに違いないと信じており、ブームの犠牲かも知れないが我が家に来てしまったのであるので、ここは耐えて生き抜いてもらいたい。そしてせめて15歳は全うして貰いたいと思うのだが・・・。
8月19日 秋(風)立ちぬ~♪「大洗海岸物語・・・?」 秋立ちぬ・・・♪♪♪、そう言われてみれば昨日は日中も26度前後と、午前中は「寒い」という表現がふさわしいような陽気でした。そこで今日は朝からロードバイク(自転車)日和と決め込み千波湖を経由して、一路大洗の海岸へ。千波湖は健康を気遣うメタボの人やそうでもない人も歩けや歩けということでそこそこの人出でした。鳥たちは白鳥や黒鳥、鴨たちもみな元気そう。一昨日までの猛暑で牛などは死ぬ騒ぎのようでしたが、野生の彼らはさすがに平気な様子。
今日は午前中こそ雲も多く涼しくも、しかし午後からは一転強烈な太陽が顔を出し、一気に31度ということに。これでも今までの35,6度に比べれば楽で、暑い盛りの午後の2時頃帰宅ということでしたがさほどのダメージは受けずに無事帰着。
サザンの「チャコの海岸物語」とは全く関係ないけども、大洗の海岸は夏休み中だけあって水族館(アクアワールド)は満車で入りきれず、海岸用の駐車場までかなり車がはみ出ていましたね。そしてその海岸用の駐車場ががら空きとは不思議、と思っていたらその付近は砂浜の勾配が急で遊泳禁止の場所。その少し先のブイで囲った岩場の付近でみんな遊んでいましたね。
圧倒的に海水浴客が多いのがサンビーチ海岸。こちらは夏の盛りを思わせるほどの車もあふれすごい人出でした。アウトレットモールの人出もまあまあで、いまだ今年の夏の大洗海岸物語は進行中ということで・・・。これにてお粗末の一席もこの辺でお開きといたします~~。 8月16日 遅ればせながら1万ヒットが達成されました 先日わたしのブログもやっと10,000ヒットが達成されました。これも一重にブログフレンドの皆さまのおかげと、感謝をしております。
今日は岐阜の多治見市、埼玉の熊谷市で40.9度と74年ぶりに日本の最高気温を塗り替えたそうで、そのほか40度を超した地点が4,5カ所ほどあり今年の猛暑が記録的なものであることを示している。
ところで、今年は梅雨明けも遅くあるいは冷夏? などと気象庁の予報はずれを期待したが、とんでもなく太平洋高気圧が圧倒的に強く、台風6号以下は日本列島に近づくことが出来ず中国本土の方に向かっているようだ。そのとばっちりというか北朝鮮方向には前線が出来、つぎつぎと雨雲が襲い豪雨が続いているようだ。このため平壌付近は大洪水とかで通常このような自国に不利な報道をしない北朝鮮が、異例の早さで報道している。
これは国際社会に対し惨状を訴え、早期の援助を期待していることは間違いないと思う。過去は自国に不利な報道を控え、国内経済の行き詰まりを隠蔽し自力運営を目指したが、核問題を機にこの際国際社会よりの援助受け入れを潔しが有利と判断したと思われる。
北朝鮮と言えば、核放棄に関してのアメリカの変節もひどいものがある。あれだけ無法者国家と名指しで非難していたものが、イラク問題が完全に行き詰まりを見せている中で、あっという間にマカオの偽札や覚醒剤の違法蓄財やマレーロンダリング資金の凍結解除を実行し、健気にもヒル米代表が茶坊主のごとく北朝鮮中国と走り回り、今までの敵対姿勢はどこへやら。
このアメリカの変節にまたも取り残された日本、我らが阿倍首相、拉致問題の解決なしに援助なしとしてきたものが、風前の灯火なのである。北朝鮮が韓国の大統領を籠絡し、アメリカを手なずけ日本を、おまえだけがぐずぐず言っているから、核問題が前進しないのだと揺さぶりを掛けられているのである。今度の水害に対しても恐らく国際社会では当然のように支援をするに違いない。一人取り残される日本は無様な後追い外交を展開せざるを得なくなるのでは。
そして、アメリカのお人好しにもあるいは簡単に味方を見捨てるのにもあきれる。クリントンの時に騙されて核施設廃棄に失敗しているのに、懲りもせずまた騙されに走り回っている。今度も騙されるに決まっている。この分だといざというときに果たして日本を守ってくれるのだろうか。これを期待してひたすら中東、アフガンと盲目的にアメリカに着き従っているのだが。このようなことだから「普通の国日本」論が出てくるのである。
アメリカよ、本当に日本の同盟国なのか!心配になってくる今日この頃なのである。
8月9日 阿倍さん、平和日本を築くつもりならがんばって! 先日の「阿倍さん大丈夫」から条件付きで阿倍さんを激励したい。
というのも、あまりにも袋叩き状態で同情心が頭をもたげてきました。もっとも政治家が同情されたらおしまいとは、小泉前首相の言でした。
参院選に勝った民主党はじめ野党が首相辞任を要求するのは当たり前だけど、与党自民党の両院議員総会の場で面前で責任を追及されていましたね。その上今日あたりは同じ首相グループの中からも批判的な意見が出されてきて、表情はうつろ、眼は涙目で、まさに窮地に立たされていても断固として辞めないと云う。
辞めない理由としては参院選は政権選択の選挙では無かったというのが表向きの理由ですね。しかしわたしは彼が辞めないのは親父の阿倍晋太郎が少しお人好しであったために、記憶が正しければ首相の椅子を竹下さんでしたかに譲ったために(たしか今の民主党代表の小沢氏が45,6歳で自民党幹事長で3人の首相候補を面接した)その後病死したために首相になれなかった、というトラウマがあるからなのではないでしょうか。
つまり今首相の椅子を手放せば岸、佐藤といった祖父などの悲願であった憲法改正などに挑戦が出来なくなる、との思いが強くあるのだろうと思います。ただここで阿倍さんの考えが甘いのは、現在の衆院の議席数は前任の小泉さんにあおられた国民が、悪役に回った亀井静香氏などがあまりにも善玉の小泉首相の天敵に見えたために、天罰を与えるかのごとく大量の票を自民党に与えたんですね。その結果各都道府県の事務局員まで当選させてしまったなどの議席数を鵜呑みにして、衆院の三分の二あれば次の衆院議員の任期までに憲法改正の発議が出来ると思いこんだ訳でしょう。
最近のニュースでは地中海における給油作戦のテロ対策特措法反対はもちろんのこと、集団自衛権の集団安保に関しての憲法解釈の見直しに関しては公明党にも反対される始末で、首相の指導力は風前の灯といっても過言ではないでしょう。
でも自民党も公明党も、人気があって選挙に勝てそうと思って圧倒的支持で選んだ訳でしょう。国民だって自民党総裁選の選挙権のある人たちは大方阿倍さんに投票したわけでしょう。人間落ち目になると今まで同士だった人たちまで辞めろという。
「水に落ちた犬を叩く」のは誰でもできますよ、とみのもんたの時も言いましたが、叩くだけじゃなくあの思いつめたような阿倍さんの正体を、もう少し冷静になって見る必要もあると思いますね。彼のどこが悪いのか、もしかして日本を戦争の出来る国への道を歩ませようとしているのか、その辺も考えるべきだと思います。
終戦記念日や原爆記念日などが近づくと、「戦争への道は知らず知らずの内に近づくのですよ」、という戦争体験者が毎年教えてくれます。そして国民は総員戦争にのめり込んで行く。それは政治家や役人や軍人達のような国の指導者達にいつの間にか煽られて戦争への道を突っ走ってしまったわけでしょう。
阿倍さんは小泉首相が遺族会への約束を果たすため(あまり本人には思想的なものは無いという)靖国神社へ参拝したときに、「ことしも、来年もずーと参拝するべきです」 と言っていましたね。それが首相になったとたん中国、韓国を訪問して関係を修復したという。しかしあれは少し物事を糊塗しただけでしょう。
憲法改正、集団安保憲法解釈強行、靖国発言などを集約するとやっぱり戦争の出来る普通の国を目指している政治家と捉えるべきでしょうね。国民がみな同じ方向を目指す「美しい国」であってはならないと思います、戦争への道を国民に歩ませようとしているなら一日も早く辞めてもらいたいと思います。平和な国、日本を目指すというなら、もう少し頑張ってみたら・・・・と思ったわけでした。
8月2日 今年も富士山に登って来ました 実は昨年は新宿まで行きながらそのままトンボ返りをしてしまった。昨年このことを知っている方には同じ話で申し訳ないが、大ちょんぼをしてしまったのである。というのは昨年も梅雨明けが遅れていた。今年同様天気図や予報を検討しこの日ならまず間違いなく、天候に恵まれるだろう日を選んで出発をしたのであるが新宿西口の高速バスターミナルの窓口係員の言葉にまさに耳を疑ったのである。
「富士山五合目行き最終バスの空席は全くありません」というのである。最終バスは19時50分発である。わたしは 平日のこと故、たかをくくって切符の一枚、二枚あるだろうと。しかし無慈悲にも「一枚もありません」という係。
そういうこともあって昨年の冨士登山は断念。今年はやはり梅雨明けを十分に吟味し、太平洋高気圧が優勢に張り出すのを見極めて、雨模様の7月31日の朝方に決断し富士急に予約を入れた。案の定ひる頃から天気も回復、気温がどんどん上昇。(翌8月1日夜からはまた天気の崩れも予想された)
前置きが長くなったが、五合目到着が午後の10時。例によって外国人が3分の1ぐらい。途中で聞いてみると大体は初めての富士登山。みんなフレンドリー、例の金剛杖に日の丸をくくりつけ、意気揚々と出発。彼らとの交流もまた楽しい。米、豪、加人等々。それに韓国、台湾、中国と円安の恩恵が。その時の話で二度登るのはバカだとか。わたしは十数度で大バカか。
歩き始めはすっかり人も出発した後から。登山路は最初下るのでみんな暗い中不安の中にも意気揚々と、この先の苦難の道もつゆ知らず。登りに入る前に右に細道を入るところが少し難しく、初心者はここで間違えやすく、聞いてくる。そこでおもむろに教えるが、実はわたしも今回とは違い同伴者がいるときに間違ってしまい、戻るのもしゃくなので途中から林の中を直角に登ったこともあった。
7合目周辺は火山礫の大きいのがゴロゴロ。勾配がきつい。この辺は心臓破りの登山路、空気は薄くなってくるし初めての登山者はここで今日の挑戦が間違っていたかと一度は思うに違いない。脈拍は早くなり息は苦しい。普段はあたりは暗く初心者がその辺中にのびている。今回は満月に近い月があたりを照らし明かるかったが。
上空に明かりが点々と見えてくる。山小屋だ。山小屋と言っても名前は多くがホテルの名前が付いている。各山小屋は大型の発電機を備え建物の中だけでなく周辺に街灯を灯していてくれる。その山小屋の前が登山路の一部でベンチが置かれており、疲れ切った登山者が項垂れるように座り込んでいる。
この河口湖(スバルライン)よりのコースは案内書に寄れば登山に5時間。下山に3時間とある。しかし登山の5時間はきつい。心臓がついていかないのだ。マラソンのキューちゃんを思い出す。やはり心肺機能は訓練なのだろう。慣れない心臓は酸素を求めて早鐘のよう。結局歩みは止まってしまう。みんな慣れない者は夢遊病者のように座り込む。
この辺で気分が悪くなりリタイヤする者も多い。八合目付近になると3000m前後なので真っ暗いなかリタイヤした者だけで下山は危険だ。結局同伴者に励まされながら登り切るか夜明けを待ち、下山するしかない。下山路は別ルートが設定されているが降りるのも大変である。昼間は六合目の途中まで平坦なところまでは馬という手もある。が、夜中はいない。
八合目を過ぎる頃、ベテランは別としてこの辺から東の空はうっすらと明るんでくる。しかし足下は岩場である。どこへ足を掛けるかは自由だが登山路の周囲にはチェーンやロープが張ってある。これがないとガレ場に迷い込み転落の可能性もある。勾配も急峻でたまに仰向けに転落するのではと恐怖が走る。一つ一つ岩場の足場を見つけながら登る。この辺はまさに岩登りである。7,8月の週末になると登山路はラッシュでもある。転落は他の登山者も巻き込んでしまう。
岩場を過ぎると少し階段が整備されていたり、鳥居がいくつか見えてきたりであたりも明るくなってくる。もうすぐ日の出だ。この日の出を拝むためこの周辺の山小屋ホテルに団体客がガイド付きで前夜から泊まり込んでおり、この日の出にあわせて出発してくる。従って頂上までの登山路は登山者で数珠繋ぎになる。日の出前の景色も見物だ。うっすらと雲海に浮かぶ山々。絵画の世界だ。しかし、人間の手では現しきれないのではと思えるこの情景。しばし見とれる。
すでに頂上の山小屋(といってもかなりの規模で数軒ある)のある平坦地まで登り切った者、登山路に並んでいる者。あるいはコースを外れ岩場に休憩している者から一斉に歓声が。水平線のように黒くたなびく雲の中から顔を出す太陽。感激の日の出だ。
日の出を拝むと既に頂上付近は昼間のように明るい。ごった返す山小屋周辺を回り込んで、俗に言う「お釜回り」コースに入る。つまり火口の縁を回る訳だが平坦あり、登りあり下りありで2kmくらいあるのだろうか。しかし、空気は薄く、疲れ切った身体には厳しいコース。なんとか静岡側に回り込んで今は撤去されてしまったレーダードームのあった富士山測候所付近に出る。
そう、目的は影富士だ。これは富士山の朝日の影が静岡側に映る現象だ。もちろん天候や太陽の位置により変わる。今日は曇りもなくパーフェクトだ。しかし映った写真を見るとまるで富士山を見るようなのだ。そして今立っている自分達の影がその影の中に見えるような錯覚に陥る。実際は何十キロも先の影に見えるわけも無いのだが。残念ながら多くの登山者はこれを見ない。体力的に余裕がないのか知らないのか。
食事をしたり休憩をしたりでいよいよ下山である。下山路はよく整備されてはいるが所詮火山礫のガレキの道で、ザクザクと勾配がきついために足が滑る。大抵は一気に下ることが出来ず、折り返しのコーナーで休みながら降りてくる。わたしらは自分で経験者であるという自負からその人々を横目に休まず一気に下る。しかし、ダメージには変わりなくつらい。それでも3時間弱はかかる。下りに心臓はあまり関係なく走るように下れる。しかし、気温はどんどん上昇し登るときの着込んだ衣類を一枚づつ脱いでいく。
午前の10時頃には五合目に到着し11時発の新宿行き高速バスに乗るわけである。新宿は人も多く暑い。これで娑婆の一員に無事戻ったことになったわけである。何度も登るのは何とやらとも云うが、富士山は古(いにしえ)より信仰の山でのもある。100度も登る強者もいるという。いつまでも噴火などせず人間を登らせてくれるといいのだが・・・。
五合目のレストラン、土産物店(富士急直営とか) 八合目の宿
八合目山小屋(宿)のおじさん 日の出直前の登山者の列
↑ 影冨士ですよ(なんか普通の山に見える?)
山頂の神社と郵便局、ポーズを取っているお嬢さんをちゃっかりモデルに(このあとにっこり)
つらら 下山風景
↑やっと下山、富士急バスで中央高速経由で一路新宿方面へ。外国人の皆さんもご苦労様でした。(みんなフレンドリー) |
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